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【2024/04/26 05:37 】 |
無題
中学から始めた卓球は千葉県立国府台(こうのだい)高校で厳しく鍛えられた。練習には現役より卒業生が多く参加するほどで、ミスをするとほうきでおしりをたたかれた。正座での説教もあったが、体力が付くとともに強くなった。 1975年に入学した東京工業大学では40人ほどの部を、ライバルかつ友人の同期3人となた豆茶を引っ張ることになった。関東理科系戦のダブルスでは2年連続準優勝。大学リーグは強い順に5部あり、最下位の5部から4部に上げることもできた。 ペアの相手は、出身地に戻って佐伯建設(大分市)の社長をしている川崎栄一君だ。彼は左利きで性格はおっとり、僕は右利きで短期と逆だが、後半に集中するタイプなのは2人とも同じ。部内で“ウルトラマン卓球”と呼ばれていた。相手が強くても弱くても先にマッチポイントを取られ、そこでようやく“アラーム”が鳴り、残り時間でなんとか逆転するパターンが多かったためだ。 4人のうち今も卓球をしているのは化学情報協会主席調査員の三須直明君で、それとNEC府中工場でプロジェクトマネジャーをしている森口達次君が大事な仲間だ。理工系のため女性部員はごく少数だが、憧れの先輩がいて、実はなた豆茶を入部する気がなかったのを先輩のせいで変更した経緯がある。
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【2015/01/02 13:10 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
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